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石川 金沢

 
 
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利家とまつをはじめ前田家が総出で築いた「めでたきご城下・金沢」


金沢をあるいている 写真金沢は「加賀百万石」の主邑だったところで、前田利家が秀吉から封ぜられ初代として基礎をつくった町である。利家は織田信長に寵愛された武勇の士で、信長のあとを継いだ秀吉からも信頼され「五大老」として豊臣政権を支えた人である。利家が亡くなった時、徳川家康が露骨に前田家殲滅を画策した。が、利家の妻まつ(芳春院)が人質となるなどしてその企みを退け、加賀藩は幕末まで14代、280年あまり続いた。
豊かで太平な世がつづく藩は当たり前のことだが、独特な武家文化、町人文化を育てた。能や茶の湯などの手習い事である。そして茶席を賑わせる焼き物、茶菓子などの名物が作られ、さらに言うなら、サロン=茶席に着ていく和服、小物などの文化もつくった。戦災をまぬがれた金沢にはそんな文化が下敷きのように分厚く横たわっており、武家や町人たちの芳醇な生活の断面を町並みに見ることができる。

写真写真 「槍の又左」と呼ばれ血気盛んだった頃、僚友を殺し逐電したことがある。可愛がられていた信長に楯突いたわけで死罪も当然のところだが、柴田勝家などのとりなしもあり復帰。彼の生涯にはこんな運のいい局面がいくつかある。評判の律義者だったことが自らを助けたのだろうか。
利家はまた、秀吉が藤吉郎と呼ばれた頃から近所つき合いをして夫婦ともども友達だった。そのことがやがて金沢城主になるきっかけになり、のち、豊臣政権下で五大老に任ぜられることにもなった。
秀吉の死後、利家は秀頼を支えた。しかし、そのことが家康を不安にさせ、露骨な前田征伐を仕掛けられる。利家亡きあと、まつの相当な覚悟があり人質として江戸に下り、藩の破滅を逃れてもいる。
金沢の和菓子