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長野 上田城跡

 
 
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小県という小宇宙で戦った武田信玄と真田昌幸、真田信之、真田信繁

戦国の大名であることを宣言した上田城築城

写真真田氏は、武田信玄(1521-1573)と同時代を生きた真田幸隆(1513-1574)をその礎とするという。幸隆は真田幸村の父昌幸の父に当たる。信州小県(現在の上田周辺)を押さえていた村上源氏義清との戦いを始めていた信玄の二十四将の1人に数えられた幸隆は有力な武将だったである。上田城から直線で5kmほど、神川沿いに山間に入ったあたりに定着したと伝承されている。
「武田信玄の国」になった信州小県を自らの領土とするのをはばかったのか、真田氏は、現在の国道144、145号線を東に勢力を伸ばしていき、岩櫃、沼田あたりを支配した。が、信玄が亡くなり、武田氏そのものが滅亡した後、真田家を継承した真田昌幸は、1583年、信濃川沿いの小県郡上田に城を築いた。戦国の大名であることを宣言し、生き残るために必死に戦う集団であることを示した。事実、徳川、北条、上杉軍に囲まれる地勢の中で、激しく奮い立ち、戦い勝っている。その気魄は信之、信繁に引き継がれ真田の名は末代まで残っている。
写真協力:上田市マルチメディア情報センター

英雄たち

写真 北国街道を信州小諸から海野宿、上田宿まで行ったあたりを小県(ちいさがた)と総称した。千曲川とその支流とが造る多くの扇状地や塩田平が含まれる。人の手のよく入った文化の香りの高い郷(さと)で心優しい風情があり、米、そば、果物それに山女などうまい食が供される。少し前の初夏の頃、お蚕さんが桑の葉を食む音を聞いたりしたこともある。
小県は、武田信玄が信州計略の要として攻め込んだところで、この時、真田はその一翼を担う軍団として歴史の表舞台に登場している。
写真提供:長野県観光機構

英雄たち

写真 天下を二分した関ヶ原の戦い(1600年9月15日)の折、真田氏は2つに割れた。戦後、家康に味方した真田信之は上田藩に封じられ、1622年には、松代藩13万5千石の主となっている。以後、領地をよく経営し幕末まで250年続いた。
松代城は別名海津城と呼ばれる。川中島の戦いの折、城郭が整備され、武田信玄がその拠点としたことで知られている。
写真提供:長野県観光機構