藤原秀衡
藤原秀衡(1122?-1187年)1174年、50歳を過ぎた秀衡のもとに16歳の義経が来る。この時、秀衡は具体的な夢をもったと思いたい。頼朝はまだ伊豆でお経をあげる毎日で、1180年の挙兵まで6年。平家打倒の陰謀をめぐらした鹿ケ谷事件(1177年)が起きるなど、平家に傾きのみられるこの時期、「日本で一番強いのは俺だ」と秀衡は考えたに違いない。
しかし、秀衡が天下を獲る時の強力な敵になるであろう頼朝が1180年に挙兵、さらに、あろうことか義経が止める秀衡を振り切り、頼朝の元へ走った。「奇貨居くべし」と考えていた「奇貨」が手の中から水が流れでたのである。天下を狙うチャンスが去って行くのを秀衡はじっと見ていたのだろう。
彼が亡くなる9ヶ月前、雪深い平泉に追われ者として義経は帰ってくる。彼はそれを喜んだのか?奥の広大な天地と17万騎といわれた兵力、莫大な財産を義経に譲るといったらしい。どっちに転ぼうと、彼は夢の仕上げをしたかったのではないか。