島津斉彬(しまづなりあきら:1809-1858年) 藩の財政事情が悪く、世継ぎのことでもごたごたしていた時代に薩摩藩11代藩主についた(島津氏第28代当主)。曾祖父の影響で洋学に通じ、のち、藩の富国強兵に努めた。洋式の造船、反射炉・溶鉱炉の建設など最先端の事業を興し、ガラス・ガス灯の製造や木綿紡績事業などを興した。黒船が江戸湾に姿をみせた翌年(1854年)、洋式帆船「いろは丸」を完成させている。
その間、西郷隆盛などの人材を広く育て、倒幕のマグマとなっていたが、1858年、幕府大老井伊直弼による「安政の大獄」が進行する中、突然死をした。いろいろな検証があり、暗殺説が根強い。 |