義朝の4代前、八幡太郎と通称された源義家はその家系から足利氏、新田氏が出、
頼朝
を出したことから英雄といわれている。しかし、源義朝(みなもとのよしとも1123-1160)は英雄からはほど遠い。快男児
平清盛
がライバルだったが
清盛
の知性と腕力にくらべると冴えない。その最後は入浴中に惨殺されたのだという。
頼朝
、
義経
という子を成したことが唯一の快挙であろうか。