源実朝
源頼朝政子は熱烈な恋のあと一緒になり4人の子を成した。上の男子が2代目将軍頼家で下の男の子が3代目将軍実朝(1192-1219年)である。実朝が将軍になったのは兄頼家が追放(のちに暗殺)されたからだが、その実朝、まつり事に興味がない。歌人として知られた存在だったというが、28歳の時、兄頼家の子公暁に暗殺される。これで政子の子はすべて死ぬ。頼朝の子は、将軍職を繋ぐということから言えば少ない。実朝には子がなく、頼家の子どもも殺されたり自害し、頼朝の血筋は絶え、北条氏の猥雑なほどの血筋が後をつなぐのである。子のない秀吉と子の数がわからない家康の間に流れた運命に似たものを感じるのである。