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東京 浅草

 
 
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1950年ころ、浅草は日本一の盛り場になった

1漁師の網にかかった観音さま

写真浅草は浅草寺を参拝する人たちが大きくした町といっていい。が、加えて、浅草寺の周辺に勃興した芝居(歌舞伎)、大道芸、大正時代になってから芽を吹いた大衆演劇、黎明期から爆発的に流行った映画、さらにストリップなどピンク系の出し物などもあって浅草は日本一の盛り場になった。いまは2000万人とも3000万人ともいわれる人が浅草を訪れ、外国からの観光客も沢山やってくるという。
浅草寺は、隅田川の漁師の網にかかった観音像を「ありがたい」ものとして祀ったのがはじめだと伝えられている。およそ1400年前のことだといわれ、浅草の観音さまと崇められる由縁になっている。江戸時代、17世紀になり、徳川家康、家光が積極的に浅草寺を援助、五重塔、本堂を建立したあたりで、大衆に「観音さま信仰」が定着し、それが今につづいているようである。
写真 徳川の世で、政治と経済が安定し、町人のエネルギーが噴き出すように花開いた元禄時代。浅草寺の表参道に仲見世ができたという。お土産を売る今の仲見世と同じようなモノだったのかどうか。名物だった「浅草海苔」があっただろう。1684年春、日本を代表する文学者、松尾芭蕉が「海苔汁の手際見せけり浅黄椀」と詠んでいる。浅草に門人千里(ちり)を訪ねたおりに飲んだ浅草海苔入りの味噌汁がおいしかったようである。

浅草神社 三社祭

1漁師の網にかかった観音さま

写真網にかかった像を引き上げた隅田川の漁師2人とそれを尊いものとして祀った仁者(じんしゃ)を三社権現として祀った浅草神社の例大祭を三社祭りという。浅草の始まりとなった3人のことを忘れず祀っている祭りだといえる。網にかかった像はいま、観音さまとして浅草寺のご本尊になっている。
三社祭は5月18日〜21日

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