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天皇家のお住いだった御所

写真 京都御所は千年の都、京都の象徴である。紫宸殿を中心にした御殿を囲む塀と6つの門が美しい。中でも南正面の建礼門とそれに続く塀は見とれるほどに見事である。源平の戦いも戦国時代の戦いも幕末の戦争も御所をめぐって戦われた。が、いまは深沈とした佇まいである。建礼門(けんれいもん)から時計回りに、宜秋門(ぎしゅうもん)、清所門(せいしょもん)、皇后門(こうごうもん)、朔平門(せっぺいもん)、建春門(けんしゅんもん)
写真

元離宮二条城は、平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)神泉苑の大部分を取り込むことで造られた城。そんな成り立ちの贅沢な元離宮二条城から堀川をへて京都御所まであるく道は、一見地味だが、京都に何度も来ている「通」が奨める道である。


英雄たち

写真 西郷隆盛は坂本龍馬と並び、徳川政治御一新の際の最大の功労者だが、精神性が強いためか、京都のゆかりの地といっても多くはない。調停工作は盟友大久保利通が岩倉具視と組んでやった。長州との同盟は龍馬がやった。ただひとつ、薩摩と会津藩が同盟して長州を追い落とし破った「禁門の変(蛤御門の変)」は西郷が指揮をしている。長州は来島又兵衛、久坂玄瑞らを失うという大打撃を受け、存亡の危機を迎えている。

時代祭

写真 75代崇徳天皇は77代後白河天皇の兄である。曽祖父白河天皇の子だという逸話もあって実権を持たされなかったが、37歳の時、父鳥羽院が崩御し、保元の乱が勃発する。この時、平家も源氏も後白河天皇につき、崇徳院には味方しなかった。結局、讃岐に流される。朝廷は崇徳院を罪人として扱い後白河天皇もいろいろなアプローチを無視するうちに、崇徳院は次第に怨霊妖怪として大きな存在になっていく。時を合わせるように安元の大火や延暦寺の強訴などがあり、後白河院は怨霊鎮魂を捧げるのである。ゆかりの地:白峯神宮

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地図

時代祭

毎年5月15日に行われる賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭。国家的な行事であったことから王朝風俗の伝統が残っている。賀茂祭が正式な名称だが、江戸元禄時代に祭を再興した折、徳川家の紋様「葵」をそここに付けた事からそう呼ばれるようになった。
京都御所(出発 10:30)→ 下鴨神社(到着 11:40 出発 14:20)→ 上賀茂神社(到着 15:30)
2017年5月15日(月)時代祭

京都を歩く

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