奈良 明日香
明日香は全体として緩やかな土地柄で田んぼや畑が多く、春は菜の花が咲く。が、甘樫丘や石舞台のあるあたりが若干高い。そこに後世になって植えられた桜が咲いている。花園のイメージがない明日香ではとても目立ってきれいである。写真は菜の花と桜、奥に飛鳥寺
明日香は律令国家の始まったところ
明日香は律令によって国家を統治しようとした時代の始まったところ。聖徳太子が手がけ、中大兄皇子(のちの天智天皇)が継続した改革は、天智天皇の弟、天武天皇の時代になって制度が定められ動き始めたといわれる。その間、物部氏や蘇我氏など大王(のちの天皇)家を圧迫するような豪族もいた。587年、蘇我氏が物部氏に勝利した後もいわば「蘇我時代」であった。大王家に権力が集中したのは645年6月、板蓋宮での「入鹿の暗殺」からで、この時から中大兄皇子と中臣鎌足が時代を動かし始めた。その中心がずっと明日香にあったわけではないが飛鳥時代は約100年続いた。その後は北へ北へと動き、794年山城国に遷都されている。