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季節のおすすめ 秋

 
 

峠越えをするワインディングロード・レールをもつコースそして町全体が秋を際立たせているエリアを優先して選んだ。全国で25ほどリストアップした中の12。
道筋をを示しているが、前後どちらから出発してもよく、また途中からコースに入ってもよく途中で出てもOKである。


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湯ノ湖・湯滝

湯ノ湖・湯滝

日本ロマンチック街道 →MAPをみる
中禅寺湖菖蒲が浜
中禅寺湖菖蒲が浜
いろは坂
いろは坂

日光IC-東照宮-いろは坂-中禅寺湖-奥日光-金精峠-武尊山南麓-沼田駅
中禅寺湖から武尊山に至るロマンチック街道の景観は日本でも有数のワクワク感があり見とれるような美しさが次々に展開する。
金精峠は毎年12月25日~翌年4月25日まで通行止め。


嵯峨野 →MAPをみる
20111127二尊院
20111127二尊院

東山山麓と同様、嵯峨野の人気は高い。
嵐山の秋


八甲田山・十和田湖 →MAPをみる
八甲田山ロープウェイ
八甲田山ロープウェイ

青森駅-八甲田山ロープウェイ駅-奥入瀬渓谷-十和田湖-鹿角駅
八甲田山と奥入瀬渓谷、十和田湖にはそれぞれが他にない色彩の秋をみせる。
道東をいく →MAPをみる
摩周湖
摩周湖

釧路駅-標茶-弟子屈-摩周湖-屈斜路湖-斜里-オホーツク海-網走駅=JR釧網本線
釧路からオホーツク海に向って上る釧網線からの風景には大きな特色はないが柔らかい。大地を走っているというよりヨーロッパアルプスの山間を走っている時のやさしい感じがある。
鎌倉 →MAPをみる
20231024秋風が吹く富士
20211125夕映えの富士
16:25 西へいそぐ夕陽

朝比奈IC-<金沢街道>-鎌倉市内-稲村ケ崎-江の島入口交差点
鎌倉は低い丘のような山に囲まれていてそこには樹が茂っている。
その茂みの中に隠れるようにお寺や神社があってそれぞれが好みの草木を育てている。
秋になるとその境内と茂みが遠慮がちに紅葉する。
秋田縦貫 →MAPをみる
20240604秋田内陸縦貫鉄道車窓
20240604秋田内陸縦貫鉄道車窓
武家屋敷通り
武家屋敷通り
写真提供:photolibrary

角館-<秋田内陸縦貫鉄道>-阿仁合-鷹巣駅
秋田県を南北に貫いている鉄道があることを見つけてからずっと気になっていた。何年か前に初めて乗った時は座りもせず運転手さんの横に立って歓声をあげていた。
筆者はいつも、津軽、弘前を楽しんだ後南下、鷹巣駅からさらに南下してる。
秩父・十石峠越え →MAPをみる
20201123秩父の秋
20201123秩父の秋

秩父駅-小鹿野-上野-十石峠-佐久
頼朝が鎌倉に幕府を立てるだいぶ前、坂東に土着した人たちがいた。その人たちが後に武士として勃興するのだがはじめに集団をつくった場所のひとつがどうやら秩父らしい。そう言われている。
そんなことを考えながら小鹿野辺りを走っているとちょっとムズムズする。
金沢・ひがし茶屋街 →MAPをみる
20211126ひがし茶屋街
20211126ひがし茶屋街
20211126金沢町並み
20211126金沢町並み
金沢往還

金沢駅-金沢城址-兼六園-ひがし茶屋街-香林坊
金沢はこの30年くらいでずいぶんきれいになった。駅からつづく商店街や近江町市場それに主計町あたりもあか抜けてきた。しかしその分、前田家の城下町としての個性が失せ利家とまつの影がみえなくなったように思える。
ひがし茶屋街の人気が高くなったのは利家とまつの匂いを感じようとしている人が増えたからなのかもしれない。
八幡平・安比高原 →MAPをみる
20200315安比高原冬景色
20200315安比高原冬景色

盛岡-好摩-八幡平-安比高原-鹿角-十和田南-大館=JR花輪線
sz 岩手山とそれにつづく山々と滔々と流れる北上川が景色をつくっている辺りを山に分け入るように鉄道が走っている。花輪線だ。これに乗って紅葉を楽しみたい。
京都東山 →MAPをみる
20221030南禅院境内
20221030南禅院境内
20221030哲学の道
20221030哲学の道

南禅寺-永観堂-哲学の道-法然院
京都東山の陽が当る時間帯は午後、正面から陽差しを受けて輝く紅葉は一段と美しい。
美瑛-富良野-狩勝峠 →MAPをみる
富良野
富良野 写真提供:photolibrary

旭川駅-美瑛-富良野-南富良野-狩勝峠-新得
根室本線のうち富良野から新得までの線路がなくなった。狩勝峠を越える列車から見える十勝平野を味わうこともなくなった。が、峠に行くまでと峠に立って眺める景色は素晴らしい。
安芸 宮島 →MAPをみる
20240716厳島神社
20240716厳島神社

宮島港-紅葉谷-ロープウェイ-弥山頂上-厳島神社-宮島港
厳島神社を今のような寝殿造りにしたのは平清盛らしい。彼はここの巫女さんに懸想してかなりの頻度で通ったという。
裏手にある千畳閣は秀吉の命で造られたもの。江戸時代が終るころ起きた長州征伐の後始末をここで話し合ったという。