京都 祇園・清水寺・銀閣寺
11月東山ここが一番
南禅寺三門
この日、京都は一日中晴れていた。
南禅寺は夕日のあたるころの照明効果が一番いい。(夕日に映える中門、境内、三門を載せた)。三門に登ってみる京景色はやや逆光だったがきれいだった。大泥棒石川五右衛門が「絶景かな!」といったその目線の景色である。
南禅寺ゆかりの湯豆腐屋さんが近くで商っており腰を落ちつけたい。
明治28年の平安神宮創建時から続く行事で、京都三大祭りのひとつ。メインは時代風俗行列。山国隊の奏する笛、太鼓の音色を先頭に、明治維新から江戸、安土桃山、南北朝、鎌倉、平安遷都までの時代を遡り、約2000名、およそ2kmにわたる行列が続く。
■時代祭:毎年10月22日
2022年10月30日 南禅寺境内
夕日がちょうどいい具合に照明を当ててくれて紅葉が鮮やかに浮かび上がった南禅寺境内。撮影した場所は中門を入ったところ。この奥に三門、本坊、国宝に指定される方丈がある。
南禅寺は鎌倉時代に建立された臨済宗のお寺で方丈の美しく見ごたえのある庭園を見てください。
「石川五右衛門」
江戸時代後期が初演といわれる歌舞伎「楼門五三桐」。秀吉の命を狙う盗賊石川五右衛門が南禅寺三門に登り「絶景かな絶景かな・・・」という科白を吐く名場面で知られる演目。その時から南禅寺三門と五右衛門の縁が始まり、いま、三門に登りその気分を味わう人が多い。
金地院・東照宮
金地院は江戸時代初期に建立された南禅寺塔頭。
小さな森の中に鎮まっている小ぶりな東照宮と京都三名席に数えられる茶室、長谷川等伯の襖絵「猿猴捉月図」が印象に残る。
片手で枝をつかみもう一方の手で水に映った月を取ろうとする小さな猿を等伯が描いている。
白川疎水に沿う哲学の道
琵琶湖から水を引き京都市民に水を提供する白川疎水沿いの散歩道。哲学者の西田幾太郎が毎日のように散歩していたことでこの名がついたという。春の桜並木がきれいなことで知られる。が、紅葉の美しさも人を慰めている。
琵琶湖から水を引く水路が開かれたのは明治23年(1890年)3月で、発電、市民の飲み水確保、物資の運搬のために工事だった。鴨川をくぐった先にある松ヶ崎浄水場で浄水され現在も市民に飲み水が提供されている。ちなみに日本で最初の路面電車だという京都市電はこの疎水による発電で開通したと記録されている。
清水寺の舞台
「清水の舞台から飛び降りる気で着物を買った」などと母から聞かされることがよくあった。だいぶ前のことで、今はそういう比喩を使わないと思うが、京都見物に行き、その舞台に立った時の興奮を母は伝えたかったのだろう。
12mあるそうである。
写真:京都フリー写真素材
かつての風葬地
五条坂を上がっていく時、右手に大きな墓地がある。平安時代は鳥辺野(とりべの)と呼ばれた墓地で、化野(あだしの=嵯峨野・嵐山MAP参照)、蓮台野(しれんだいの=金閣寺・龍安寺・仁和寺MAP参照、船岡山あたり)と並ぶ京都の風葬地だった。平安時代、庶民は鳥葬あるいは風葬で葬られたという。
いま、墓地はカラッとしていて風葬のイメージはない。春の桜が美しく咲く。。