京都 嵯峨野・嵐山


2022年嵯峨野の秋
保津川越しに見る嵐山はいつも優しい。都落ちした京都貴族たちが丸い形の山と流れる川を見る時涙をながしながら嵐山を歌に詠んだという話がよくわかる。
後醍醐天皇が亡くなったあと、雷が落ちた、大火事があった、度々地震に襲われたなど災害が多く、創設されたばかりの(室町)幕府の面々は「祟りだ」と怖れ、これを鎮めるため幕府の頭領、足利尊氏は天龍寺を建立した。
ほんの一瞬、天皇の親政が成立した(建武の中興)もののすぐさま潰されたことへの天皇の呪いである。

嵯峨野に林立している竹は孟宗竹。手入れが行き届いた斜面に気持よさそうに孟宗竹が立っている。
その竹林の中を回廊風に小径が通っている。3人が横に広がると道幅いっぱいになり客は行儀よく歩く。途中に映画「丹下左膳」などの主役を演じた大河内傳次郎(1896年~1962年)さんの別荘大河内山荘がある。これも竹の中だ。
山陰本線とトロッコ線の上を行くと御髪神社、小倉池が左手にあり、さらに行くと常寂光院の前にでる。将軍源実朝が師事したという歌人藤原定家の山荘があったといわれるところである。
そして落柿舎。芭蕉が嵯峨日記を表したといわれ秋には柿の実がなる。


明治28年の平安神宮創建時から続く行事で、京都三大祭りのひとつ。メインは時代風俗行列。山国隊の奏する笛、太鼓の音色を先頭に、明治維新から江戸、安土桃山、南北朝、鎌倉、平安遷都までの時代を遡り、約2000名、およそ2kmにわたる行列が続く。
■時代祭:毎年10月22日
