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盛岡さんさ踊り

 
 
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品のいい町ができ上がっている。盛岡。20万石の城下町。

南部藩は質実剛健でよく治められ誠に好ましい
盛岡は南部氏20万石の城下町。南部氏は元々、甲斐国の南、富士川沿いの南部郷に領地をもつ鎌倉武士であった。が、その家録書「奥南旧指録」によると、1219年の暮れに南部光行(南部氏家祖)が鎌倉・由比ヶ浜から船を出し、一族郎党とともに北を目指す。1219年(2月)は3代実朝が暗殺され、北条家に実権が移った年だが、なぜその年にボートピープルのように郎党まで連れて鎌倉から船出したのか。いろいろな想像が湧いてくるが、しかしともかく、苦難の末、一団は今の久慈あたりに上陸、地侍たちを平らげ、のち秀吉、家康に仕え、ついに盛岡を主邑(しゅゆう)とした。南部藩は質実剛健でよく治められ誠に好ましい。いま、盛岡は角館・田沢湖、岩手山・八幡平、陸中海岸などに行く時の拠点。わんこそばがうまい。





鬼の退散を喜び幾日も幾日も「さんささんさ」と踊った
盛岡に伝わる鬼の伝説がある。盛岡市内の三ツ石神社境内にある掲示板によると(以下略文)、「昔、羅刹(らせつ)という鬼が民と旅人を悩ませていた。人々は神様に頼り、鬼を捕え、二度といたずらをしない二度と来ないことを約束させ、三ツ石に手形を押させたという。そして鬼の退散を喜び幾日も幾日も踊ったという。」
以下は伝説の伝説だが、二度と来ないという誓いをさせたことが盛岡の旧名「不来方(こずかた)」になった。三ツ石に手形を押させたことから「岩手」となった。鬼の退散を喜び幾日も幾日も「さんささんさ」と踊ったことが「さんさ踊り」の起源となり盛岡市とその周辺に踊り継がれた、という。鬼退治、悪鬼退散を祈り和太鼓に鼓舞されながら踊る神事は佐渡や沖縄など多くある。吉備国岡山の桃太郎による鬼退治もその1つだろう。
さんさ踊りは地域の小さな村落単位でさんさ踊りの伝統を残しながら受け継がれたようで、その踊りは微妙に違うという。さんさ踊りの大群舞と和太鼓の音を楽しみながらも伝統のさんさ踊りも見ていってほしい。

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わんこそば

写真お椀(わんこ)に少量のそばを盛り、そのそばを食べたら次が盛られ、それを食べたらまた盛られる、というactivityのような蕎麦の食べ方。「わんこそば」と呼ばれ、盛る人の掛け声とともにリズミカルに食べる。少量のそばを1杯とカウント、普通、40杯ほどは食べられ、100杯を超えると証明書がもらえるという。味に飽きがくる人のため、「なめこおろし、まぐろ、胡麻、一升漬、とろろ」などがつく。

石川啄木

石川啄木イラスト 石川啄木(1886年 - 1912年)は明治時代後期の歌人で、金田一京助や与謝野鉄幹らと交友を結んだ人である。1910年、第一歌集「一握の砂」を東雲堂書店から刊行。26歳で死去した2ヶ月後、第二歌集「悲しき玩具」が友人たちの手で出版されている。1歳の時に移り住んだ渋民村(現盛岡市)が彼の故郷で、その辺りから、おおいかぶさってくるように圧倒的な存在感をもつ岩手山と北上川を見晴るかすことができる。「ふるさと」を啄木はよく詠んだ。
「ふるさとの山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」
上野駅15、16番線を見渡すように石碑が立っている。
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」
「頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず」
その人気はいまも高い。一握の砂・悲しき玩具(新潮社文庫)

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