長野 軽井沢
彼らが始めに散歩をした通りを「キューカル」と呼んだ
避暑地として知られる軽井沢の始めは、宣教師として日本に来たA.C.ショーさんが1888年(明治21年)に別荘を建てたことによるらしい。ショーさんの功績を讃えて記念礼拝堂が旧軽井沢にある。
同じ1888年、軽井沢-横川間に馬車鉄道が開通して軽井沢駅がデビュー。1893年には上野駅と直結した官設の鉄道が敷かれ首都圏と近くなった。最初は馬の力で碓氷峠の急峻を登ったようだ。何人乗せて馬何頭に引かせたのか。いまやると面白いショーになるだろうと興奮する。
軽井沢の名が一般市民に大きく広まったのは上皇陛下と美智子上皇后の出会いからだろう。軽井沢で開かれた親善テニス・トーナメントで最初に会ったこと、そして1959年(昭和34年)にご成婚されTVニュースで繰り返し流されたことなどによるだろう。婚礼の式と同時に市民の目には、避暑地軽井沢の佇まいと上流階級の人たちがするテニスプレイが映った。
「軽井沢でテニスをしたい」「軽井沢の空気を吸ってみたい」と思う若者がどんどん増えたのは当たり前で、「軽井沢」は脳にきざまれた。彼らが始めに散歩道をした通りは「キューカル」と呼ばれ、年間800万人を超える人たちを呼ぶコンテンツになっている。
「ミッチー・ブーム」
1957年のお二人の出会いから1958年11月の婚約発表、1959年(昭和34年)4月のご成婚とその後に起きた社会現象を総称した名称「ミッチー・ブーム」。
お二人のご成婚を「テニスコートでの自由恋愛」、「昭和のシンデレラ」、「世紀のご成婚」などとマスメディアは報道した。また、美智子様のファッションをミッチースタイルと呼ぶなど、2人を格好の題材・素材としてTV受像機の普及が進み、また「週刊女性(主婦と生活社)」、「週刊女性自身(光文社)」、「週刊明星(集英社)」、「週刊文春(文藝春秋社)」などの週刊誌が創刊され世相をブームに載せた。