大原・鞍馬
鞍馬が歴史に登場するのは、源義経が平家勢力から落ちのび、鞍馬寺に入ったころ(1160年)であろう。850年ほど前である。
大原が歴史舞台に登場したのはもっと古くおおまかに1200年前、人跡未踏の里だった大原に三千院が創建され人が入ったころであろう。鞍馬山も大原の里も京の都の北の果てで、自然だけが支配するところだった。
のち、義経は鞍馬をおり、軍勢を指揮して平家を打倒、兄頼朝の武家政権樹立に力を奮っているが、そのことで鞍馬は世の中に知られるようになる。江戸時代のことである。
大原が大衆に知られるようになったのはもっと随分あとのこと。1965年昭和40年に永六輔さんの作詞曲「女ひとり」が流行り、「京都~、お~はら、三千院~」と歌われた時からだろう。いずみたくさんの作曲、ダークダックスが歌って、大原、三千院がどんなとこでどんなお寺かも解らないまま日本全国に知られた。(写真:京都フリー写真素材)
-京都 大原-
洛北・出町柳を北に向うと一乗寺を過ぎたあたりから高野川沿いの山道に入る。高野川の源流近くに途中越峠があり峠を越えると近江国、さらに行くと若狭に出る。大原は峠の手前にある小盆地で比叡山西麓にある山里。天台の声明道場・勝林寺、三千院などがこの地に建立されて村に核ができる。薪や野菜を行商する大原女も登場する。そして、源平の戦いで敗れた建礼門院徳子が大原に流され、寂光院で暮らし没したことが後に大原を有名にしていく。寂光院と三千院で有名になっていった大原の里が元気にお客様を迎えようとして桜が植えられた。春、大原を暖か色に染めて山里いっぱいに桜が咲く。
-京都 鞍馬・貴船-
京都の人達の喉を潤す水の水源の1つ、貴船。鞍馬の山中で修行した義経も時にはこの水を飲んだんじゃあないかと思われる清流貴船川が流れているが、その水源近くに水を司る神様を祀る貴船神社がある。この一帯の空間はそのすべてが水で潤っているように感じられ夏はとても涼しい。その貴船川沿いに会席料理の店が連なっている。これらの店は、6月1日の鮎の解禁に関係なく小振りな鮎を食わせ、岩魚やうなぎ、沢蟹も食べさせてくれる。夏になると川の上に川床といわれる座敷が作られその上で食べる。黒漆の皿の上で跳ねる鮎が涼しげで人気がある。11月になると、鹿の刺身や猪の石焼ステーキなど野趣あふれる料理も出てきて楽しませてくれる。