仙台七夕まつり
「馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何」
伊達政宗(1567年-1636年)晩年の五言絶句である。以下のように読む。「馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残躯天の赦す所 楽しまずして是を如何にせん」
米沢に生まれ、蘆名、佐竹、最上そして上杉氏などと敵味方になりながら南奥州に地盤をつくってきた伊達政宗。がむしゃらに、その前半生を賭けて南奥州を平らげている。そして仙台に城を造り町を造った。しかし、同じ時間帯、信長と秀吉、家康が天下とりを目指していた。実際に、1590年、秀吉は天下統一を果した。小田原北条氏を攻め落とした年である。
政宗は南奥州に100万石近い領土をもつ英明な武将であった。彼は天下を取る自信があったかもしれない。秀吉の小田原攻めには行きたくないと考えたが、逆らいきれず秀吉に降参。さらに、家康が縦横に天下を動かし始める。そんな69年の生涯を詠んだ句が「馬上少年過」である。余分な邪念のないスカッとした句である。
仙台藩62万石を天下と見立て、米・大豆・味噌・醤油、綿織、絹織、漆器・陶器などを不足なくつくり江戸にも送った。江戸市民は仙台米、味噌で養われたといっていい。
そして日本の主の如く遣欧使節を欧州に送っている。政宗は大いにやった。加賀100万石がその存続のためにやや汲々としたことを思うと器はかなり大きい。
栄華を誇った城下町、仙台。町は空襲を受け、城下町らしいものはなにもない。しかし、道は広く、欅並木が爽やかで、歩いていて気分のいい町になっている。そこはかとなく「政宗」の風が感じられる。
写真提供:宮城県観光課
仙台の七夕
仙台の七夕は、伊達政宗が400年前に奨励した祭りといわれ、日本一豪華な七夕まつり。織姫の織り糸を象徴しているという吹流しが飾りつけられ仙台の町を彩る。前夜祭として定着した仙台七夕花火祭、野外ライブも含め3日間で、日本と世界から200万人を超える人がやって来る。仙台の食の魅力を集めたフードコート「おまつり広場」もどうぞ。「仙台七夕まつり」は毎年8月6日〜8日開催
また、富裕な城下町の必須アイテム、和菓子もなかなかに楽しめ、静かな喫茶を勧めたい。政宗以来といわれるずんだ餅と萩の月が土産にいい。