平泉
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100年の都を築いた清衡
平泉中尊寺は奥州藤原氏を名乗った清原清衡が平和を願い、1105年に中興した天台宗の寺。平和を希求した前時代の戦いがある。前九年後三年の役(1051年~1087年)だ。現在の宮城県北部から東北本線沿いに盛岡までと横手市を中心に血みどろに戦う。途中で味方が敵になったりして、相関図を見ながらたどってもなお解らない、手当たり次第に殺したようなフシのある戦いであった。最初(1051年~1062年)は俘囚のトップ安倍貞任と京都朝廷の戦いで、衣川、胆沢、厨川柵(くりやがわ)の柵で戦った。後三年の役(1083年~1087年)では安倍氏、清原氏と京都側が入り乱れ、金沢、沼の柵などで戦う。そして、戦いが終り、清衡は天運を拾う。その拾ったような幸運を大切にして平泉に100年の「都」を築いた
夏草や兵どもが夢の跡
義経が戦いに破れた様を想う芭蕉が高舘を訪ねて詠んだ句。