北海道 小樽
小樽は、駅の背後にある天狗山から港に向って雪崩れている坂の町である。坂の途中、旧手宮線や旧日本銀行、旧三菱銀行など明治時代に造られた多くの建物と小樽運河、それに連なる倉庫群があり、それらは当初のデザインのまま100年を超える時間、風雪の中にあった。
「現代」というキャバレーが駅近くにあった。木造りの2階建ての上品なキャバレーで旅人の多くが楽しんでいた。このキャバレー現代や鰊(ニシン)の獲れた頃からの居酒屋も含め小樽にはむき出しのまま「歴史」が残っていて小樽の魅力になっている。
日露戦争(1904-1905年)ののち一時期日本領になった南樺太(カラフト)大泊との間に航路が開設された。1907年頃のことで、小樽は往復する貨物や旅客でにぎわい大いに栄えた。小樽運河から貨物が出入りし銀行はその決済を担った。病院や理髪店、居酒屋なども建てられただろう。小樽の町はもうもうと湯気が吹き出していただろう。
しかしそれらの繁栄と喧騒は1945年、敗戦とともに終る。遺構はいま、小樽の復興と発展に大きく役立っているが、敗戦から20年ほど小樽は置き捨てられ貧しい町だった。が、その頃、「小樽のひとよ」という曲が大ヒットした。「北国の町は」と唄い、雪の降りしきる小樽の町にロマンティックななにごとかを感じたのだろう、酔狂人がぽつりぽつりとやって来た。南樺太航路で賑わった頃の小樽を想ったのだろう。モダンな風を吹かせるキャバレー「現代」も一役かったようだ。
小樽はそのたどってきた繁栄の歴史とお寿司、北一ガラス、アニメなどをアピールポイントにした。これからは余市のウィスキー蒸溜所、仁木町の果物、積丹半島から見る石狩湾、さらに羊蹄山とニセコ、洞爺湖温泉までをセットにして楽しまれるのだろう。